同時作に、 蒼き狼の裔が馬追ふ秋天下 秋澄むやチンギス・ハーンの草千里 があり、全てモンゴルの海外詠。今年は、八〇〇年前にチンギスがモンゴルの全部族を統一し、ハーン(皇帝)に即位した記念すべき建国祭が行われた。私は映画『蒼き狼』の撮影で、月のうち半分はモンゴルにいた。私は八月の中旬、作者の秦孝浩氏とハン・パレス・ホテルのコーヒー・ショップで会った。その時、絵葉書に書かれていたのが、「遊牧の民」の句である。遊牧民が抱えていたのは、多分、野水仙であろう。ウランバートル市内に花屋を見かけなかったからだ。長い冬が終わり、春が来ると、草原には一斉に沢山の草花が咲き乱れる。だが、大概の人は草花に感心を持たない。ここまで書いていたら、結婚式に花束を持った人々を見かけたので、お祝いに花を贈る習慣がない訳ではない。現実に、撮影を終えた俳優にも花束を贈っていたことを思い出した。ただ、遊牧民が花を抱えている姿を一度も見ていないだけに、余程の祝いごとか歓迎の印なのだろう。群青の空と草原と遊牧の民が抱えている水仙。「映像の復元力」の効いた色彩の鮮やかな一行詩。
地卵などには、よく血の筋が入っていることがある。私の初期作品『猿田彦』の中に、次の一句がある。
地卵に血の筋多し小正月
私の句は、小正月のめでたさを詠ったものだが、作者の句はもっと凶々しい印象をもつ。それは上五の「八月や」にある。八月といえば、日本人にとって、原爆や敗戦を想起せずにはいられないからだ。単なる報告の句ではない。下五の「血のまじり」が、読み手の心にぐさりと突き刺して来るからだ。
この句は、私にとって切実だ。わずか五・七・五音に致死量の毒をもたせることは、口で言うほど簡単ではない。試みに読者は、次のような句を鑑賞して頂きたい。
黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る 貧農の水子を啖ひに蛭泳ぐ 向日葵や信長の首斬り落とす 日本に米軍がゐる暑さかな 胸中の太刀を眠らせ去年今年 ――六本木ヒルズ―― 偽物の街に人群れ春寒し 牡蠣すすり生涯不良をこころざす 蛭に血を吸はせてをりぬ歌舞伎町 銀河にも飢餓海峡のありにけり
若宮和代の句は、一行詩人をこころざす者にとって、突き刺すような鋭さを持っている。
繊細で感覚的な一行詩。今月の『ランティエ。』の投句の中で一番感銘した。俳句三原則の「映像の復元力」「自己の投影」の鮮やかな一句。読み手の側に、釘を打つ作者の姿と金属音、それに秋風の音まで聴こえてくる。
同時作に、 飛び込んで満ち足りて落つ誘蛾灯 死にたいと縋り付く手の強きこと
メール一行詩の投句の中で、一番新鮮だった作品。作者は十九歳。なんと俳号があって、鳳栖院正己。なんだかヨクワカラナイ。私の下で学んだら、もしかすると文学史に残る一行詩人になるかも知れない。レジ係を詠んだ作品として秀吟。
作者は三十六歳なので、勿論、敗戦の日を知らない。私はわずか三歳ながら、鮮やかにその日を記憶し、忘れたことはない。空襲警報がなくなり、砲撃が止んだ。空は太古の蒼さで雲一つなかった。私は生母・冨美子と家の付近を歩いた。もう、戦争が終ったのだ。
作者の句は、現在の風景を詠んだものであろうか、或いはものの本で読んだか、人伝にその日の話を聴いたのかも知れない。少くとも、私には充分イメージの伝わる一行詩。