「水無月」とは陰暦六月の異称。ほぼ陽暦の七月に当たる。例句として、 水無月のとほき雲けふもとほくあり 川島彷徨子 があり、川島彷徨子の代表作。梅雨が明けて、青葉の茂る季節と中七・下五の「ゆふぐれ色の花を買ふ」になんの因果関係もないが、当然ながら七月の夕焼の空を想起させる。そして、作者はその空の色のような花を買うと言っているのだ。印象の鮮明な一行詩。中七・下五が美しい一句。
同時作に、 笛の音が真青の嶺を渡りゆく 追憶の父の恋文土用干(どようぼし) 白球を円陣に置き夏来る があり、いずれもよい。「海開き」とは海水浴場開きのことで七月一日が多い。例句として、 海開きなど思ひつつ遠くあり 石塚友二 女名のヨットひきだす海開き 品川鈴子
海開きとあって、女子中高生などが華やかな水着でいっせいに浜辺を彩ることを、蛹が蝶に、或いは人間に羽が生えて飛ぶように、色彩感を裏に隠して、健康的なエロスを一句に仕立てた。文芸の本質は「エロス」と「タナトス」を詠うことだが、この句の場合、エロスを詠った佳吟。
同時作に、 失踪も良いかと思ふ花空木(うつぎ) 遠花火背中で聞いて切りだせり があり、特に「花空木」の句が良い。詩の評価の基準として、作者や作品に「修羅」があるかどうかという判定も成り立つ。山崎作品を眺めてみて、この作者はおのれの修羅を飼っている印象を受けた。中七・下五の「絶望のやうに暮れていく」という感覚は作者以外に正確に読みとれないが、それでも読者を納得させる言葉の力を持っている。
一見すると単に母と子の隠れん坊の遊びを回想した句のようにとれるが、そうではない。「花浄土」とは、私も作品として発表しているが、単に花盛りを意味しているのではなく、限りなく死の匂いを放っている。私の解釈は、「もう死んでもいいかい」と母は息子に言い、花の浄土を目指して静かに息を引きとった、ということ。この句は、「タナトス」の象徴詩と解釈しなければ成立しない。佳吟。
同時作に、 朧月猫の乳房を撫でていく 雷の夜象鉄柵に体当る があり、いずれの句も現代の危機意識を感覚的に捉えた一行詩。炎天に作者を追い越してゆくものは、息荒い犬そのものと言うより、現代人の何かに追いたてられる生き方、ないしは切迫感を伴った危機的な意識。具象的に表現しながら、抽象化した一行詩の世界。