魂の一行詩
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2006年11月号「月刊ランティエ。」掲載分  ※下に批評を掲載しています。
みんみんの鳴くや俺はここにゐる 石田美保子
鯨より鯨の生まるまぶしいぜ 長谷川眞理子
鵙日和パン買ふやうに本を買ひ 広瀬恵美子
灼けてゐる控え選手のユニホーム 川崎陽子
耳裏にきて秋風と思ふかな 林 佑子
夜の妻蛇を殺めしことを告ぐ 石工冬青
梅酒漬け一族の血のはるかなり 松下千代
水馬この世の先へ走りけり 斎藤一骨
ころあひを見て惚けだす生身魂 原与志樹
八月の空へ無数の手が伸びる 堀本裕樹
冷蔵庫の中にあたらしき夜が来る 鎌田 俊
甘いガム噛んで終戦記念の日 福原悠貴
いきいきと飢ゑてゐるなり終戦日 松下由美
茄子の馬夕暮はもう誰も来ぬ 田中風木
秋めくや空にありたる水のいろ 西川僚介
香水の好みも忘れ働きぬ 高橋祐子
みんみんの鳴くや俺はここにゐる   石田美保子

同時作に、
蝉しぐれ止み一せいにあす骸
帰省子の祭のうらを戻りける

がある。今年の夏、月の半分はモンゴルに私はいた。特に、八〇〇年前、チンギス・ハーンがモンゴルの大ハーンとなる即位式を再現するために、ウランバートル郊外のそれも即位の山という連山の麓で、二万七〇〇〇人のエキストラを動員しての撮影を、三日間にわたって行なった。その時の監督は私である。私はそのシーンの撮影中、何度もデジャビュー(既視感)におそわれた。私は、確かにここにいた!

草原の夜空を見上げると、夥しい星が流れ落ちてゆく。私は初の自伝『わが闘争』の中で、二年五か月前の獄中体験で自得したことは、自分がこの星(地球)に遊ぶために生れて来ただけだと書いた。平成十五年の正月三日間の瞑想がもたらした認識である。旧ソ連の科学者オバーリンは、流星が地球に衝突し、その結果、地球の海に生命が誕生した、という学説を発表した。獄中三日間の驚くべき瞑想の結果を、私は今でも信じている。草原の流星を見ながら、私は次の一句を得た。未発表作品である。

流星や俺がここにゐる不思議

こことは地球であり、モンゴルの草原である。宇宙の渦から私は誕生し、死後は再び宇宙のカオスに戻ってゆく。このイデーを確信したのは、一九九二年のコロンブス追体験の、サンタマリア号の冒険を通してである。

石田美保子の「みんみん」の句は、私にとって二度目のデジャビューであった。つまり、彼女の作品は、私が既に作ったような錯覚が生れたからである。勿論、私の過去の作品にはない。彼女の感性がもたらした一行詩である。人間は絶えず、おのれがどこから生まれ、どこに還ってゆくのかというイデーに捉らわれ続けて来た。哲学と宗教をも含む、自然科学の分野においてである。自分の存在と位置を求めてである。私は二年前の八月九日に母・照子を失った。その日の昼は、蝉時雨が辺りを圧していた。美保子の作品は、その時の私自身であった。「俺はここにゐる」という字たらずも、この切迫感の表現として納得できる。『河』八月号の大森健司の代表作である次の句を参照して頂きたい。

炎天やあるべきものがそこにある

美保子の作品も、健司の一句と同様の根源俳句である。秀吟。

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鯨より鯨の生まるまぶしいぜ   長谷川眞理子

『河』六月号の作品批評に採り上げた広瀬恵美子の次の一句を参照して欲しい。

さくらさくら沖の鯨の契りをり

一九九一年七月十三日、バルセロナを出航したサンタマリア号は、コロンブスの航路どおりに大西洋を真西に向った。途中、何千頭というイルカの大群に遭遇し、集団の交尾を観察した。海上はイルカの精子で一面に白濁したものだ。大自然の壮大なドラマに私は深く感動した(『河』六月号より)。平成四年七月二十七日発行の私の句集『月の船』に、その時の感動を記している。

秋暑し海豚の恋に驚けば

私の場合はイルカであったが、鯨の交尾を目撃したならば、それは「驚き」ではなく、「まぶしい」という表現になろう。恵美子の作品が実ではないと同様に、眞理子の句も実ではない。しかし、虚の大きさは実を遥かに凌ぐ。この句を観念と指摘する俗物俳人は、魂の作物を生涯得ることができないであろう。下五の「まぶしいぜ」の表現が実に鮮やか。

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鵙日和パン買ふやうに本を買ひ   広瀬恵美子

「鵙」は、七月の代官山のレストラン「シンポジオン」で行なわれた「はいとり紙」句会の兼題。恵美子の句は、昨年の十二月号の次の句を思い出させた。

百円のパン買ふ店や鵙のこゑ   岡本勲子

勲子の作品は、なんとも素直な日常吟だが、恵美子の句は、もっと手が込んでいる。句意は説明をするまでもなく、平明だが、中七・下五の「パン買ふやうに本を買ひ」がなんとも巧い。この表現で作者の体温が伝ってくる。当日の私の出句は、「獄を出て二年四か月」という詞書で、
にんげんの光と影や鵙の贄
食つても食つても獄中の麦の飯

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灼けてゐる控え選手のユニホーム   川崎陽子

同時作に、
梅雨長しだんだん溶けてゆく私
があり、題も「溶けてゆく私」。勿論、この句も良いが、「灼けてゐる」の句の方が断然新鮮である。「灼く」という季語で、このような発想を持った俳句は前例がない。例句としては、
ただ灼けて玄奘の道つづきけり   松崎鉄之介

控え選手とあっては、球拾い、草むしりなどの雑用が多いが、スター・プレイヤーを支える大事な一員だ。その彼のユニホームは真夏の日射しで、すっかり色褪せている、という句意。なんとも清々しく、健康的な一行詩。

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耳裏にきて秋風と思ふかな   林 佑子

「みんみんの羽化」という題で、同時作に、
万策の尽き栗の木に栗の花
月揚げてみんみんの羽化はじまれり

があり、特に「みんみんの羽化」は美しい一句。しかし、「秋風」の句は、繊細にして感覚的な一行詩。古今集以来、日本人は秋風の音、色、清しさを繊細に詠い続けて来たが、林佑子も伝統的な季語を、日常の中のささやかな感動を通して、見事に一行詩に成立させた。佳吟。

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夜の妻蛇を殺めしことを告ぐ   石工冬青

作者は富山在住の『河』の古い同人。句意は明瞭だが上五の「夜の妻」が良い。妻が夜になって、日中に蛇を殺したことを告白したまでだが、単なる「俳句コト説」の報告ではなく、詩の世界を日常の中に発見した手柄。

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梅酒漬け一族の血のはるかなり   松下千代

同時作に、
この町のどこかで朽ちし酔芙蓉
干し物のすぐに乾いて終戦日
水飴を濁るまで溶き夏の果て

があり、どの句も身の丈で作り、季語が無理なく一句の要となっている。「梅酒」の句は、七月の「しゃん句会」の投句で、私が特選に採った。梅酒は、私の家でも母が漬けていて、私が出所した年の、六月の『河』運営委員会で出席者全員に母から配られた。今も、私のマンションの冷蔵庫には梅酒の小瓶がある。亡くなった父も母の漬ける梅酒を嗜んでいた。千代の「梅酒」の句は、嫌でもそのことを思い出させ、胸が熱くなる。中七・下五の「一族の血のはるかなり」が素晴らしい。特に、「はるかなり」の措辞が適確で切ない。

母あらず母の梅酒の古りにけり   春樹

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水馬この世の先へ走りけり   斎藤一骨

同時作に、
噴水の日暮や己れ坐らする
があり、この句も良いが「この世の先」と題した「水馬」の句に、思わず目が止まった。手強い象徴詩を『河』に出句して私を悩ませる老詩人にしては、ストレートな句。例句としては、
水馬にも子がありて子の遊び   山口誓子
水すまし水に跳ねて水鉄の如し   村上鬼城
松風にはらはらととぶ水馬   高浜虚子
水すまし平らに飽きて跳びにけり   岡本 眸

水馬は水面を細い六本の脚で滑るように泳ぐ。しかし、走ったりは勿論しない。秋山巳之流の次の句が参考となろう。

虚子の忌の鰆走りとなりにけり

巳之流の句も、鰆は「この世の先へ走」っているのだ。鰆は秋山巳之流自身であるように、「水馬」は作者本人である。秋山巳之流は癌患者。「放下」の世界に遊ぶ作者は、句作りに残り少ない人生を楽しんでいると言ってよい。この世からあの世にいつ走ったとしても、作者のこころを悩ませることはない。今回の句も、斎藤一骨さんの「遊び」が生みだした「放下」の一行詩なのである。

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ころあひを見て惚けだす生身魂   原与志樹

「生身魂」とは、盆の七月八日から十三日までの間に、生きている目上の者に対して礼を尽くす夏の行事。生盆ともいう。死者に対する供養ではなく、生きている御霊に対して行なうものである。昨年の『河』九月号に福島勲同人会長が次の句を発表している。

棲む星の蒼茫として生身魂

勲作品は、永遠の今を言い止めた秀吟だが、例句としては、したたかな老人に対するユーモア句が多い。与志樹作品も同様である。

生身魂とは人ごとでなかりしよ   能村登四郎
生身魂しらばつくれておはしけり   黛 執
海人の家ふどしひとつの生身魂   角川春樹

「勝手聾」という言葉があるが、年寄りが都合の悪い時は聞こえない振りをする、というやつだ。与志樹作品の生身魂は、都合によって惚けた振りをする、という手に負えない年寄り。亡くなった小説家の山田風太郎は私の俳句のファンだったが、本人は「ボクは本気で惚けている」と言っていたが、極めて話に含蓄があり、多くの読者を持っていた。与志樹作品は、例句の黛執よりも面白く、含蓄がある。

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八月の空へ無数の手が伸びる   堀本裕樹

同時作の他の四句も、全て私は特選に採った。

立原忌木刀で風斬りにけり
サングラスはづして赤い予感かな
青葉ずく黒衣の人の過ぎゆけり
ゆふかぜに柚子の葉鳴りて照子の忌

「八月の空」「立原忌」は東京中央支部で、「サングラス」「青葉ずく」「照子の忌」は「はいとり紙」句会での特選句。当月集を半獣神も『河』作品の順位も、特選句を三点、秀逸句を二点、佳作を一点と計算しての合計点で並べられている。私が『河』作品抄批評を始めて、総合点数十五点を採ったのは、堀本裕樹が初めてである。

「立原忌」は小説家立原正秋の忌日。堂々たる立原正秋の自画像が写し出されている。「黒衣の人」とは歌人であり民俗学・国文学の泰斗である折口信夫(釈迢空)のことを、北原白秋が名づけたことによる。一行詩人であることを投句用紙の職業欄に銘記しているのは、堀本裕樹と鎌田俊である。勿論、私は讀賣新聞にも産経新聞にも一行詩人として原稿を書いている。若くして、堀本裕樹も鎌田俊もプロとして自立しているのだ。その為には、他の俳句を読むばかりでなく、詩も短歌も小説も読み込まなければならない。

「八月の空」は、勿論、原爆忌や敗戦忌を指している。兵士ばかりでなく、アメリカ軍の無差別攻撃で亡くなった無数の民間人が救いを求めて手を伸ばしているのだ。直接、原爆や敗戦を詠まずに、八月の空と表現したことも、俳句という器を大きくしている。つまり、句柄が大きいと言うことだ。秀吟。

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冷蔵庫の中にあたらしき夜が来る   鎌田 俊

「冷蔵庫」は、七月の「しゃん句会」での特選句。冷蔵庫の中は、昼も夜もないが、秋になって新しい夜を迎えている、との句意。勿論、秋とは限らず、昨日に対して、或いはもう少し長い時間を想定しても構わない。中七・下五の「あたらしき夜が来る」が、句の眼目で、この表現が実に新鮮。『河』の半獣神でも、まだ「俳句コト説」である単なる報告でしかない作品や盆栽俳句に終始している人達も見受けられるが、俳句的な手垢の着いた言葉は見苦しいだけである。

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甘いガム噛んで終戦記念の日   福原悠貴

同時作に、
昴忌や夜明けの水を飲み干して
がある。二句とも「はいとり紙句会」の兼題で私が特選に採った。特に、「終戦記念の日」が良い。私が敗戦を迎えたのは三歳の時である。その日は、雲一つない群青の空であった。も早、空襲警報も砲撃の音もなく、生母・冨美子と家の近くを歩いたものだ。その後、間もなくアメリカの進駐軍が押し寄せて来た。進駐軍は白人も黒人も子供達に気前よくチョコレートやキャンディ、ガムなどを分け与えた。三歳の幼児であった私も例外ではない。アメリカ軍の若い兵士達は、のべつ幕無しにガムを噛んでいた。米兵が噛むガムは、貰って噛んでみると、実に甘かった。私が米兵から菓子を貰っている姿を、父は苦い顔をして眺めていた。その時の父の顔を、いまありありと思い出す。父の苦い顔は、結局、角川書店の設立に繋がってゆく。角川文庫発刊の父の文章を読めばその事が今よく理解できる。甘いガムに対する父の苦い顔が、朗々たる口調となって表われている。今月の『河』作品を眺めていても、実に多くの終戦日、原爆忌の投句作品があったが、福原悠貴以上の句には出会わなかった。私に敗戦直後の光景を思い出させ、現在に繋がる甘いガムほど心を打った作品はない。

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いきいきと飢ゑてゐるなり終戦日   松下由美

七月の「しゃん句会」で、多くの人が特選に採った句。

同時作に、
不確かなわたくしの居る終戦日
満月の木椅子に父のありにけり
夏休みCMばかりの日が暮るる

があり、特に「夏休み」が良い。福原悠貴の句と同様に、敗戦直後の日本をありありと思い出させる。街中には浮浪児が溢れ、バラック建ての闇市が日本国中に開かれていた。日本人の多くが飢えていたが、同時に奇妙な活気に溢れていた。由美の作品は、その頃を彷彿させるが、しかし、この句は由美自身の、その日の心象風景なのだ。代々が花町の芸妓であった母に死なれての、初盆を京都で迎えた作者のこころの色なのだ。それが、「不確かなわたくし」であり、「木椅子の幻の父」であり、「CMばかり」がテレビから流れる、生家である置屋の、現実の風景なのだ。母が不在となった心の飢えを感じながらも、作者は一方で、いきいきとしている。上五・中七の相矛盾する表現が「終戦日」という季語にダイレクトに繋がっていく佳吟。

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茄子の馬夕暮はもう誰も来ぬ   田中風木

「茄子の馬」とは、精霊が盆に往き来するための茄子で作った乗り物。田中風木の作品は、亡くなった死者達も、訪ねて来る人も、夕暮になると誰も来なくなった、という寂寥感を詠った。中七・下五の「夕暮はもう誰も来ぬ」の措辞が素晴らしい。佳吟。

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秋めくや空にありたる水のいろ   西川僚介

八月の「はいとり紙句会」で特選に採った作品。西川僚介と言えば、いつも思い出すのが次の一句。

とある日の花を買ひをり啄木忌

啄木忌の作品として、正に秀逸。「秋めくや」の句は、久保田万太郎の次の代表句を想起させた。

水にまだあをぞらのこるしぐれかな

水面に映る時雨雲の間に、鮮かな青空の一片をまだ残している景を詠った作品。西川僚介は、秋めいた空に、夏にはなかった鮮やかな水色の青さがある、という景を詠った。単純で、類型の句がない訳ではないが、印象鮮明な秀吟と言って良い

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香水の好みも忘れ働きぬ   高橋祐子

作者は那須郡那須町の豆腐商。『河』七月号には次の句がある。

どしゃ降りや豆腐売れずに啄木忌
花は実に吾が半生を豆腐売り

『河』八月号では、
やなことも生きることかも冷奴
今月号の同時作では、
豆腐屋のゆくえは知らず川開き
また、香水の句に続いて、
嫉妬するサルビア燃えてゐたりけり
がある。香水の好みも忘れて働いている作者は、サルビアの燃えている姿に嫉妬する。サルビアの赤は、華やかな女性を連想させる故にだ。それだけに香水の好みも忘れた今の作者自身の姿が、痛ましく思えて来る。「香水」という甘い季語が、切実な詩となって花開いた。佳吟。

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