| 梯梧(でいご)咲く地雷をあまた眠らせて 飯干久子
同時作に、
アンコールワット炎帝が鷲づかみ
ポル・ポトの罪どこまでも大地灼け
笑わない子ども裸足で物売って
があり、内戦終了のカンボジアを詠んだ作品であることが解る。特に「笑わない子ども」の句は読み手である私の胸にも響く作品だ。飯干久子の作品を眺めていると、次第にある一本の映画がどんどん頭の中を占めてくる。
その映画は「キリン・フィールド(殺戮の原野)」である。政策はデビット・パトナム、監督はローランド・ジョフィ。二十二年前に私が書いた『試写室の椅子』から引用すると、
カンボジアの内戦を描いた「キリン・フィールド」はコッポラの「地獄の黙示録」がベトナム戦争をファンタジーとして描いたことに対する不満を乗り越えさせ、さらにテーマを戦争状況に於ける個人的な物語―この映画の場合は友情―として浮きぼりにさせ、観客に感動と満足を与えてくれた、実に稀な戦争映画であった。観客の半分は常に女性客であり、女性は常に戦争映画を好まない。特に、残虐で救いのない映画は尚さらである。だが、「キリン・フィールド」は、極限状況に於ける人間生存への意志と情熱を、極めてエンターテインメントとして描いたことで興行的にも成功することができたのである。ラスト・シーンは、「ニューヨーク・タイムズ」の敏腕記者、シドニー・シャンバーグ(カンボジア内戦のドキュメントによってピューリッツァー賞を受賞)と彼の助手であったカンボジア人、ディス・プランがタイ領内の難民キャンプで再会するが、その時、シャンバーグが乗っていた車のラジオから、ジョン・レノンの「イマジン」が流れ、画面全体に拡がっていく。
引用が長くなったが、カンボジア内戦の終わった今も、その後遺症は色濃く残っている。それが笑わない子供であり、地雷をあまた眠らせた大地に咲く梯梧の花なのである。
「梯梧の花」は、インド原産で、五月ごろ真っ赤な蝶形花を多数つける。沖縄県の県花で、海(かい)紅(こう)豆(ず)とも言う。例句としては、
海紅豆潮の香に髪重くなり 古賀まりこ
海紅豆咲き焼酎の甕ひとつ 草間時彦
があり、飯干久子の連作と比較すると間伸びするほど平和的な景と作品である。飯干久子がなぜ内戦後のカンボジアを訪れたのか不明だが、ただ一つはっきりしているのは現実の重さと例句を凌ぐインパクトの強い一行詩を発表したという事実である。親兄弟を目の前で殺されたカンボジアの子どもたちが笑いを取り戻すのに、あと何年かかるのであろうか。 |