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| 2006年7月号「月刊ランティエ。」掲載分 ※下に批評を掲載しています。 |
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エプロンを外して仰ぐ白木蓮(はくもくれん) 松下千代
松下千代の作品は多面体である。例えば次の二句は、感覚的な詩の世界である。
秋高し積木の家の建ちにけり
ビー玉の中に春の日揺れてをり
一方、先月号の次の作品など、童話的な詩の世界である。
ペン先を走らせてゐる春の詩うた
また、今月号の同時作に、
白魚のかなしき眼(まなこ)喰(く)いにけり
などの繊細な一行詩の世界も見受けられる。かつても現在も女流俳人の多くは、「台所俳句」と称され、男性作家から揶揄(やゆ)の眼で鑑賞されてきた。それでは、「白木蓮」の句は、「台所俳句」なのかと言えば、そうではない。先月号の「春の詩(うた)」と同様に生命への歓喜が一行の詩として成立しているのである。10メートルほどの高さにある木蓮を仰げば、青空に白い花が縁どられている。目にも鮮やかな白と青のコントラスト。しかも、「エプロンを外して」という措辞(そじ)がこの句の眼目となっているのは言うまでもない。近代の病的な危機感を一行詩に仕立てる名手である千代にとって、この句は、明るい健康的な一行詩である |
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初つばめ夜明けさびしき歌舞伎町 淵脇 護
薩摩男児である作者が上京して、新宿のホテルに泊った翌日の風景。大都市の中でも不夜城として名高い歌舞伎町の夜明けを詠んだ作品。歌舞伎町という日本一の風俗街であり、犯罪の多発する一角は、アジア暗黒組織と日本の暴力団が共存する極めて特殊な性格を帯びている。結果として、多くの小説の素材となり、ミステリーからハードボイルド、純愛小説までこの町を舞台として描かれている。しかし、不思議なことに、というより「盆栽俳句」の俳壇は、この町を詠(よ)むことをしてこなかった。寺山修司が生きていれば、現代短歌としても、現代俳句としても、きっとこの歌舞伎町を詠んだことであろう。歌舞伎町を詠むことは詩人としての必然性である。上五の「初つばめ」が実に新鮮。この初つばめが、中七下五の「夜明けさびしき歌舞伎町」を導き出している。繁華街である歌舞伎町の見み窄すぼらしさ、薄汚なさが前面には出ていないが、裏側に隠されている。歌舞伎町とは淋しい場所なのだ。人間の欲望が剥き出しになればなるほど寂寥(せきりょう)感は深くなる。私は二十代の前半、歌舞伎町の近くにスナック・バー「キャッツアイ」を営んでいた。今からみると、まだ牧歌的であった歌舞伎町の夜明けを、何度も何度も体験している。それだけに、「夜明けさびしき歌舞伎町」は強く実感できる。
それにしても、この句全体が「初つばめ」にかかっている。作者は、私の俳句三原則である「映像の復元力」「リズム」「自己の投影」を確実に実践して来たが、今回の作品は「自己の投影」が殊に鮮やかな「魂の一行詩」として結実した。 |
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やはらかきもの身にまとふ朧(おぼろ)の夜 鈴木たか子
淵脇作品と一転した女流作家の嫋(たお)やかな一句。上五中七の「やはらかきもの身にまとふ」は下五の季語「朧の夜」に収斂(しゅうれん)されている。「やはらかきもの」が具体的に説明されていないのが、かえって読者の想像を拡げる幅を持った。そして、「朧の夜」が微妙な働きを示している。私がこの句から感じとったのは「エロス」である。文芸の基本は「エロス」と「タナトス」を詠むことだ。平明な表現によって醸(かも)しだされた品格の高いエロスの一行詩。 |
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春寒(はるさむ)の止まり木に置く脚二本 渡辺二三雄
同時作の次の句も良い。
狂言の口開け雨の菜の花忌
私が二月の東京例会で出句し、佐川広治編集長が特選に採った次の句に匹敵する。
雨の夜の止り木にゐる西行忌
私の作品の背景は山の上ホテルのバー。かつてこのバーの止り木に腰を降ろし、山本健吉先生や作家の中上健次と酒を何度も飲んだものだ。山本先生の話は、芭蕉、西行、波郷、源義に及んだ。そのことを回想したのが獄中句集『海鼠(なまこ)の日』の次の一句である。
山の上ホテルのバーに健吉忌
西行の忌日である二月十六日の夜は雨だった。私はこの年も、儀式のように、山の上ホテルのバーに行き、止り木に二本の脚を垂らした。健吉忌の五月七日もこのバーに来る。長い歳月が山の上ホテルの狭いこの一角に詰っている。
渡辺二三雄の「春寒の」句は、また私の次の一句を思い出させた。
足二本あれば嘘つく姫はじめ 『海鼠の日』
私の足二本はユーモアだが、二三雄の脚二本はペーソスだ。春寒の止り木に脚二本を垂らしている男は、やはり都会の寂寥(せきりょう)感を身にまとっている。春寒の止り木は、何故か二月の雨の夜を連想させる。私と同じ二月十六日の夜の景かもしれない。二三雄の句は、止り木に置く脚二本と即物的に置かれながら、充分に叙情詩としての余韻を残している。佳吟。 |
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ペンだこのいつしか消えて啄木忌 春木太郎
啄木忌は、四月十三日、詩人・歌人石川啄木の忌日。盛岡中学中退後、新聞記者や代用教員をしながら文学を志す。享年二十七歳。歌集『一握の砂』と『悲しき玩具』は啄木文学の代表作。例句としては、
啄木忌いくたび職を替へてもや 安住敦
あ・あ・あ・とレコードとまる啄木忌 高柳重信
少年に窓の若葉や啄木忌 角川春樹
があるが、啄木忌と言えば、先月『河』に入会した慶應大学教授の西川僚介氏が数年前に作った次の句を思い出す。
とある日の花を買ひをり啄木忌 西川僚介
春木太郎の作品は啄木が新聞記者や代用教員であったことを踏まえて、自身のペンだこもいつしか消えてしまったことの感慨を詠(うた)った佳吟。春木太郎の作品は、常に難解ではない。日常の中にいつも詩を見い出している。今月の夥(おびただ)しい啄木忌の作品の中では、春木太郎と東京例会での末益手瑠緒作品が際立っていた。
ところで、俳人が詠む忌日とは一体なんであろう。安易に忌日を詠むことに私は賛成しない。私が詠む忌日は、秋燕忌(父の忌日)、昴忌(母の忌日)、健吉忌(山本健吉の忌日)、寺山忌(寺山修司の忌日)、健次忌(中上健次の忌日)という親しかった故人を偲ぶ行為であり、西行忌、波郷忌等の詩歌の先達の敬意を払う行為である。また健吉忌、寺山忌、健次忌は私が創作し歳時記に収録した。それによって死者が二度死ぬことはなくなった。死者の命日は歳時記に載ることで思い出されるからである。それ以外の忌日の句は基本的に認めない。忌日を入れさえすれば、簡単に俳句として成立してしまうからだ。『河』五月号に「角川春樹論」の連載を始めた坂口昌弘氏の文章から引用する。
俳句の「忌」とは、亡き人の魂を見つめるために、日本文学の深い歴史と天地が与えた時間である。日本人とは、亡くなった人の魂を思って日常を生きている国民であるという意味の発見をしたのは、西洋人の小泉八雲であった。俳句の忌こそ、亡き人の魂を思う日本人の宗教そのものである。「死」は「忌」となり、鎮魂となる。春樹の句は、多くは忌の句、魂鎮めの句である。父、母、妹、健吉、波郷等、春樹の忌の句は、深い鎮魂の詩である。春樹自らの魂を詠むことと、亡き人の魂の鎮めである。
もう一つ引用する。昨年『河』の九月号の、「ヒロシマの空」と題した秋山巳之流の一文。
青空のままのいちにち原爆忌 春樹
わたくしは、この「青空のままのいちにち」という措辞に強く感銘した。俳句が、ようやくヒロシマを詩にした、と感じた。
「ヒロシマ忌」とか、「原爆忌」は、これまで、単なる報告でしかなかった。報告では、何の感動もないではないか。その意味では、この一句は「原爆忌」の多くを打ち破った、といってもいいのだ。日本に俳句がなければ、「原爆忌」も季語として残らなかった。俳句があったからこそ、一瞬にして消えてしまった広島市民の受けた残酷さを、言葉として、いや詩として残すことができたのである。その意味では、「原爆忌」を俳句として残し、世界中にもっとも短い詩として残すことができたのである。
「青空のままのいちにち」には、もくもくと昇るキノコ雲と、火の柱が思い浮かぶ。だが、実際には作者の目に映っているのが、「青空」のままなのである。この句の「青空」には、どんな悲惨さよりも、もっとむごい現実があるのだ。体中が焼けたり髪の毛が抜けたり、地面に影だけ残して消えた人間である。 |
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春なれやパンの耳など喰みこぼす 辺見じゅん
同時作に、
子を生まぬ乳房つめたしさくらの夜
がある。いづれも代官山のレストラン「シンポシオン」で行われた三月の「はいとり紙」句会での作品。どちらも良く、どちらを選んでも批評に価する作品。一行詩のインパクトから評すれば「さくらの夜」だが、「春なれや」の日常世界の一句にだんだん惹かれてゆく。上五の「春なれや」の呼びかけから、実体としての「パンの耳など喰みこぼす」が導き出される。それにしても「パンの耳など」の「など」の措辞に舌を巻いた。こうした日常詠の方が、時間経過と共に光り出してくる。 |
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水温(ぬる)む悲しきものをまた掬(すく)ひ 北村峰子
同時作に、
春の雲すべて預けた訳じゃない
花吹雪あびて命を軽くする
風光る青き絵の具は魔女が溶く
いずれの句も、癌と共存する峰子の「いのち」の句。「水温む」は春の季語で、例句の、
水ぬるむ主婦のよろこび口に出て 山口波津女
のように、そのほとんどが春になった喜びが表現されている。「広島の魔女」と言われた峰子の全力を上げた一行詩の世界は、読み手に深い感動を与えてくれる。正に魂が「共振(ともぶれ)」するのだ。「魂の一行詩」とはおのれのつまり作者の「いのち」を一行の詩に乗せることが一番の要なのである。作者の「いのち」の「たましひ」の叫びが読者の「たましひ」に「心」に通い合うのだ、。故に峰子の「水温む」の一句は、例句の全てを凌(しの)いでいる。作者である峰子に来年も春の水を掬うことができるのか。「主婦のよろこび」が彼女の口から出ることはあるのか。砂を掬えば指先からこぼれてゆくように、峰子の指先から春の水が逃げてゆく。もう一度春の水を掬えば、また水は指先からこぼれてゆく。喜びである春の水は、峰子にとって「悲しきもの」なのだ。「魂の一行詩」としての絶唱。 |
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入院の子よ紅梅よ白梅よ 中まり子
同時作に、
目を離さず※料峭(りょうしょう)の摩天楼
余寒なほ脳の輪切を見せらるる
僧のごと剃られて朧濃くなりぬ
入院の句は、峰子の句とは反対に癌の子に対する「いのち」の詩(うた)。癌で入院を余儀(よぎ)なくされた子への母の嘆きを、美しい一行詩に反転させた秀吟。入院の子に対する呼びかけが、美しい紅梅にも白梅にも等量で行われている。そして、子の「いのち」も、紅梅の「いのち」も、白梅の「いのち」も等しい「いのち」なのだ。日本においては、神すらも自然の一部であるように、人間の「いのち」も自然の一部なのだ。まり子の作品は、親が子を想う悲しみではなく、生命への限りない賛歌なのだ。
※料峭…春風が寒く感じられることをいう。春寒(はるさむ)と同意。 |
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さくらさくら沖の鯨の契りをり 広瀬恵美子
一九九一年七月十三日、バルセロナを出航したサンタマリア号は、コロンブスの航海通りに大西洋を真西に向かった。途中、何千頭というイルカの大群に遭遇し、集団の交尾を観察した。海上はイルカの精子で一面に白濁したものだ。大自然の壮大なドラマに私は深く感動した。恵美子の作品は実ではない。しかし、虚の大きさは実を遙かに凌ぐ。上五は「さくらさくら」の字余りで、中七・下五は「沖の鯨の契りをり」と気宇壮大な、そして雄渾な一行詩。「さくら」の季語を二度重ねて「晴」の舞台を作り、さらに大自然の営み一句に仕立てた実力は大したもの。「俳句は男の文芸」と主張している私への抗議の一行詩。勿論、絵画の世界。 |
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象ハナ子春のパラソル開きけり 鎌田 俊
同時作に、
※榛(はん)の花傘さすほどの雨ならず
がある。「榛の花」の句は、四月の東京例会で、「春のパラソル」の句は三月の吟行句会で私が特選に採った作品。句としては「象ハナ子」の方が断然良い。戦後間もなく、初代の象ハナ子はインドのネール首相より、敗戦に打ち沈んでいた日本に贈られた。当時、「りんごの唄」の流行と共に、日本人に希望を与えてくれた明るいニュースだった。その象ハナ子に対して「春のパラソル開きけり」の中七・下五は、絶好の措辞。見事なまでの春の喜びの表現。井の頭動物園での吟行の嘱目吟(しょくもくぎん)ながら、鎌田俊の代表作となった。
※榛の花…落葉高木。高さは17メートルにも達する。4〜5月頃、暗褐色の円筒状の花が(雄花)。雌花は暗紅色。 |
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淡雪のとある酒場で酔うてをり 春川暖慕
この句を眺めた時、すぐに橋間石の次の句があぶり出された。
銀河系のとある酒場のヒヤシンス
二句とも面白いが、春川暖慕の方が手ざわりの感触があって良い。豪雪地帯の新潟県長岡に在住の作者の、したたかなユーモアに感服する。この句も、作者と共に残る秀句。 |
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啓蟄(けいちつ)やマンガ喫茶で待ち合はす 梅津早苗
作者は一年の半分を雪の中で過す北海道苫小牧に住んでいる。啓蟄とは、三月六日ごろ、土の中に冬眠していた虫や蛇が穴から出てくることを指す俳諧味のある季語。
例句としては、
啓蟄の蚯蚓(みみず)の紅のすきとほる 山口青邨
啓蟄や生きとし生きるものに影 斎藤空華
水あふれゐて啓蟄の最上川 森澄雄
早苗作品の場合、季節としての春とは裏腹に、雪に閉じ込められた人間が穴ならぬ家から抜け出て、地上のマンガ喫茶に出掛けるといった風情。新潟の春川暖慕作品と同様に豪雪を笑い飛ばしたユーモア句。私の学生時代に、一軒だけ代々木にマンガ喫茶があった。渋谷に国学院大学があることもあって、マンガ喫茶で度々待ち合わせたものだ。このマンガ喫茶で白土三平を、水木しげるを、さいとう・たかをを知った。まだ彼らの青年時代である。また四十一年前の、韓国仁川(インチョン)から博多までの野性号の航海が終った夜、博多のマンガ喫茶で傷つけられた心を癒したものだ。その時、マンガ喫茶は都会のオアシスのように思えたものだ。 |
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触(さわ)れない背(せな)のまん中かげろへる 神戸恵子
神戸恵子はいまのところ、昨年の『河』新人賞作家の中でも群を抜いている。人間は誰しも背中を触ることができない。その触ることのできない部分が「かげろへる」とは、一体どう言うことであろう。別に三面鏡で自分の裏側を見た訳ではない。この抽象性を帯びた句を私なりに解釈すると、「触れない背のまん中」とは自分の取り戻すことができない過去の部分。故に煙の如く陽炎(かげろ)っているのだ。抽象的な象徴詩。これがこの句の正体である。奇妙で魅力のある一句。 |
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水呑んで花よりも子に疲れけり 針谷定史
「花疲れ」という季語がある。勿論、花見をして心身が疲れること。例句として、
坐りたるまま帯解くや花疲れ 鈴木真砂女
花よりも子に疲れるという状態は誰でも想像がつく。しかし上五の「水呑んで」とは一体何だ。水を呑んだ結果、花よりも子に疲れたと作者は言っているのだ。疲れている時に水を呑んで気力を取り戻すことはあるが、より一層に疲労することもない訳ではない。しかし、そんなことを作者は言いたい訳ではない。私の初期作品『信長の首』の中に、次のような一句がある。
離れ鹿水呑んで物言ひにけり
この句の場合、群から離れた鹿が小川の水を呑んだあと、物を言いたげな眼差(まなざ)しを私に向けたことを一句にしたまでのこと。針谷定史の作品は、現実的な意味で、水を呑んで疲れた訳ではなく、あくまでも心理的な些事(さじ)を大袈裟(おおげさ)にユーモラスな一句に仕立てあげたまでだ。俳句とは理屈ではない。理によって説明すれば良いと言うものでもない。現代の俳壇は理によって俳句を作っているだけだ。それでは詩は痩せ細るばかりとなる。 |
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ぐるぐると歯車まはる落花かな 堀本裕樹
同時作の
光体となりて白鳥帰りけり
春の暮メロスを待つてゐるごとし
風光る潮岬(しおのみさき)となりにけり
いずれの句も、句会で私が特選に採った句。当然、作品批評の対象となる佳吟だが、今回は敢えて「歯車」の句を採りあげる。
元小説家の友人である河村季里は、私の一行詩を読んで、
「春樹さんの句はドラマ性がある、そこが他の俳人の作品と決定的に異なっている」
と述べたが、正に「魂の一行詩」とは一句の中にドラマを含んでいなければならない。故に実よりも虚の方が大きく比重が高い。詩とはドラマ性のことだ。「魂の一行詩」は他の文芸や映像、音楽をも凌ぐことができる。裕樹の「歯車」の句も同様にドラマ性の高い一行詩。ぐるぐる廻っている歯車は実景ではない。この歯車は、チャプリンの映画「モダン・タイムス」のように疑似(ぎじ)化した存在。汽車の車輪のような巨大な歯車が騒音を立てながら廻っている。そこに桜の花びらが舞い散っている。そんな映像を思い浮かべればいい。或いは、ぐるぐる廻る歯車を、現代社会の象徴ととらえることも可能である。どんどん鉄骨化してゆく無個性の街に「いのち」である桜が音もなく吹雪いている。歯車の作品は俳句ではない。一行詩である。堀本裕樹は鎌田俊と共に、『河』を代表する若手作家となった。 |
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啓蟄(けいちつ)やふふふふふふとあの野郎 高橋祐子
同時作に、
てのひらに豆腐那須岳春の雲
花どきの煮つまつてゐるがんもどき
がある。祐子は栃木県那須郡で豆腐店を営んでいる。季語の「啓蟄」と「あの野郎」には、直接的になんの因果関係も存在しない。親しい友達のある行為を、「あの野郎やってくれるじゃない」と愉快な気分になって思い出した。それが啓蟄の今日このごろである、とそれだけだ。だが、「啓蟄」の意味が穴から蛇などが出てくることを考えれば、多分にエロチックな想像も可能になってくる。しかも、そのような解釈が可能となるのは、中七・下五の「ふふふふふふとあの野郎」という作者以外には意味不明の言葉が、急に意味深い言葉となってくるからだ。坪内稔典の代表作となっている次の句と比較すると面白い。
三月の甘納豆のうふふふふ
稔典の上五の季語「三月」と中七・下五の「甘納豆のうふふふふ」とは何の関係もない。高橋祐子の「啓蟄」と同様に、作者は読者の自由な鑑賞に委(ゆだ)ねている。というより、放り出している。厳密な意味では、作者の稔典と祐子以外は、正確な解釈は不可能なのだ。かつて私の句の批評として、飯田龍太氏が、
「角川さんの句は我が儘だ」
と言い、文芸評論家の吉本隆明氏には、
「主観の強い句。作者の竹を割ったような性格に起因している」
と言われてしまった。このことは、坪内稔典の句にも高橋祐子の作品にも当てはまる。つまり主観の強い(客観性の薄い)我が儘な句だということ。しかし、二句一章(一行の句が二つに割れていること)を俳句の本質だと看破したのは、『河』の創始者・角川源義である。一つ一つが別な意味を持つ文脈が一行の詩の中に存在し、ぶつかることを二物衝撃(にぶつしょうげき)という。具体的に説明すると、祐子の「啓蟄」と「あの野郎」がぶつかることで、別のドラマ空間が発生するということだ。このことは稔典にも当てはまる。「三月」と「甘納豆」がぶつかることで笑いを生み、読者を何となく納得させてしまう力だ。読者に作品を放り出してしまっているが、読者を拒否している訳ではない。そして、二句一章が成り立つには共通認識としての季語が必要となってくる。季語が共通の場と座を読者に提供することになるからだ。座の文芸である俳句にとって季語が重要なのはこの為である。季語は「いのち」である。
ついでながら、坪内稔典の近作を紹介する。
サーカスが来ている薔薇の芽がのびる
山に雪赤毛のアンが来るだろう
空にいる針魚(さより)古墳の石ごろり |
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雛(ひな)の間の柱時計の鳴りにけり 小川たかし
同時作に、
まぐはひの闇に※ひいなの息づかひ
芽吹山沸騰点を越えんとす
があり、特に「ひいなの息づかひ」が良い。この二句を見ても、作者の確かな力量と言語に対する感性が読みとれる。しかしながら、何の変哲もない「柱時計」の句の方が魅力的なのだ。常々言っていることだが、詩は平凡な日常の中に存在する。しかし、「ひいな」や「芽吹山」のような感性の良い句があってこそ、「柱時計」の句に惹かれるのだ。
雛を飾っている部屋に柱時計があるとすれば、多分に古い応接間のような広い空間が想像できる。それも置時計でなく、柱時計となるとかなり古い時計と推察される。静まりきった部屋に、突然古い柱時計が鳴り響く。たったそれだけでも詩は成立するのだ。柱時計と同じように、家も古いはずだ。雛もまた歳月を経ている。平和で平凡で退屈な日常にも、詩は絶えず存在する。私の処女詩集『角川家の戦後』に次の句がある。
吸入器古き時計の鳴りにけり
京都の古い置屋(おきや)の実景である。それはまた次のような小道具が存在する家である。
三味線と煙管(きせる)の箱と吸入器
そこで生まれた少女は、句集『JAPAN』の空間の中で、
風鈴や置屋に誰も居(お)らざりし
蚊遣火(かやりび)や少女の居場所あるでなし
青い花火少女は家を出る決意
家を出た少女は、ニューヨークでダンサーとなり、やがて帰国し、京都の置屋に戻り、代々の家業を継ぐことになる。
葛切やいつとはなしに恋も古り
夏帯やをんなにもある志
ごり汁や膳に対(むか)ひて一夜妻
ひと晩の客を見送る日傘かな |
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水買つて水に色ある桜どき 露崎士郎
士郎の句は、若宮和代の、
白魚をあをき真水に放ちけり
と同様の感性の鋭い作品。江戸時代まであったような水売りから水を買った訳ではない。スーパーかコンビニで買ったペットボトルの水。その透明な水が桜の色を移したかのように幽(かす)かな紅を帯びている、という繊細な感受性を示した一行詩。余分なものを一切排除し、水の一点だけに的を絞って成功した。リズムも良く、自己の投影もはっきり示され、映像も鮮やかに蘇(よみがえ)る、私の主張する「俳句三原則」を実践した一行詩。なんとも透明で美しい句ではないか。 |