握り交はす手に西鶴忌ありにけり 斎藤一骨
『河』の当月集作家である斎藤一骨さんは、当年八十六歳。今月号のタイトルも「西鶴忌」。即ち、斎藤さんはこの句に自信もあり、私にこの句を突きつけてきた。親子の年ほど離れている老作家が、師である私にどうだと示した作品。結社誌である『河』は、仲好しクラブではない。真剣勝負の場なのだ。私の句集『猿田彦』の跋文(ばつぶん)を、平成四年八月十二日に亡くなった作家の中上健次が書いているので、その一節を引用する。
芭蕉は連衆と共になけなしの物、わずかな乾飯(ほしい)を持って吟行したが、今はあり余った物でもてなされそれは本来のもてなし主(あるじ)なる動詞ではない。座の文学というが今の俳句には何もないのではないか。吉野の花を見て「おい、中上、美しいな」と春樹にいわれ、私が「ウン、美しいな」と答えたら、彼は一瞬身構えた。座とは感性の斬り合いの場なのだ。美意識をすべて潰されるか、逃げ出すか、はみ出してゆくかが座の凄さである。芭蕉は弟子たちと斬ったはったでやって来たしそれがないと、現代俳句はもう死ぬ一歩手前なのだ。座のなかでみんな殺し合ってきたのだ。私もそうだった。角川春樹というすばらしい希有の才能の持主の新しい展開が、今後の俳句に大きくかかわってきたのだ。
中上が言うまでもなく現代俳句は、すでに死んでいる。俳句だけではない。短歌も詩もそうだ。私が「魂の一行詩」運動を展開するのは、死んだ俳壇を再生させるためではない。この世界は、もう終ったのだ。
この句は今月の当月集全作品の中で、一番私を惹(ひき)つけ、感嘆させた一行詩なのだ。大上段に斬りつけてくる斎藤一骨さんの太刀をしっかり受け止めなければ、私は主宰(しゅさい)者として失格である。だから、本人の意にかなうかどうかを別にして、私なりの鑑賞を試みよう。言わば、斎藤さんにとって、私が師としての資格があるかどうか試されているのだ。まず一般読者のために「西鶴忌」について説明しておこう。
西鶴忌とは陰暦の八月十日、元禄時代の大作家、井原西鶴の忌日。西鶴は大坂の町人で西山宗因の俳諧を学び談林派として活躍。後に浮世草子の作家として『好色一代男』『好色五人女』等、江戸元禄文学の最高峰をなした。例句として
西鶴忌うき世の月のひかりなる 久保田万太郎
今の世も男と女西鶴忌 三宅清三郎
色街に住んで堅気や西鶴忌 安村章三
いづれも西鶴の文芸や生活に則しながらの作品。私の作品では、自分の境涯(きょうがい)に則して、
中年に旅の花火や西鶴忌 『存在と時間』
斎藤一骨さんの句も、私の句と同様の境涯の詩であり、思想としての俳句なのだ。
人生の意味を私は「遊び」として捉えている。森澄雄さんはこう言っている。
俳句は十七文字に季語を入れた小文芸と思いがちだが、虚空とともに、永遠に流れて止まぬ時間、今の一瞬に永遠を言いとめる大きな遊びである。(略)老子も「学を捨つれば憂ひなし」と言い、荘子も遊心を重んじ、孔子も遊びを人生至上の境地とした。古代中国の大きな思想である。
西行も芭蕉も人生の達人であると同様に、井原西鶴も人生の達人だった。父・源義の最晩年、西行に強く惹かれたように、斎藤一骨さんは西鶴に強く惹かれているのだ。今の俳人は、実に容易に忌日の俳句を季語として使用しているが、これはとんでもないことだ。「握り交はす手に」西鶴忌があるという断定は、斎藤一骨さんが到達した末の結論だ。斎藤一骨さんの「遊び」が生みだした「放下(さっさと手放してしまうの意)」の一行詩なのである。
斎藤一骨さんの作品鑑賞を書いている内に、斎藤さんの胸にいつも西鶴が居坐っているように、私の胸の中にもいつも存在する風景があることに気づく。悲しいことではないが、鉄格子である。いま、突然句が生まれる。
夕凍(ゆうし)みのいつもこころに蝶番(ちょうつがい) |