魂の一行詩
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魂の一行詩    > 一覧に戻る
2006年2月号「月刊ランティエ。」掲載分  ※下に批評を掲載しています。
天皇の日の闘魚(とうぎょ)一途に泳ぎけり 大森理恵
握り交はす手に西鶴忌ありにけり 斎藤一骨
母捨てれば遠く椿の実の落ちる 田井三重子
霜の畦(あぜ)大きな鼠死んでをり 渡部志登美
写楽絵や皮手袋が濡れてゐる 長谷川眞理子
人間の居(お)らぬ絵を選(よ)る十三夜 北村峰子
行く秋の夜のこころに触るるもの 高田自然
物に名のなきころの晴もみぢ山 滝口美智子
花カンナこの雨に抱く胸が欲し 西川輝美
買はれゆく聖書淋しき文化祭 川越さくらこ
雪虫のまとはりつくもご縁かな 春木太郎
松茸を焼いて非凡となる夕べ こじまあつこ
狐火や眼裏(まなうら)熱くして帰る 神戸恵子
天皇誕生日やはらかく玉子焼く 佐野典子
人間にいまだ尾のあり火恋し 福原悠貴
百円で老眼鏡買ふ文化の日 林 マキ
松茸を買へぬ年金もらひけり 西澤ひろこ
マフラーにからめ虜(と)られてゐたりけり 稲野博明
天皇の日の闘魚(とうぎょ)一途に泳ぎけり   大森理恵

闘魚とは熱帯魚の一種で、雄同士で激しく争う習性があることからこの名前がある。歳時記では熱帯魚は夏の季語だが、この句の場合は、「天皇の日」で冬。十二月二十三日は、今上天皇の誕生日で、国民の祝日の一つ。次の私の句は獄中の作品
天皇の蜜柑(みかん)を喰(は)める獄の中  『檻』
天皇の日の青空に椅子ふたつ  『海鼠(なまこ)の日』

大森理恵の句意は単純で、ガラス・ケースの熱帯魚が天皇の日も一途(いちず)に泳いでいる、という光景。これが何故「魂の一行詩」なのかと言えば、季語の「天皇の日」にある。

私の作品の場合も、獄中の免業日(めんぎょうび)(※祝日の刑務作業のない日)にお菓子や果物が一つ出る。甘いものが不足している獄中にあって、このことは格別に嬉しい。また一日中作業がない日とあって、句作や読書に集中できる。八月十五日に出版した句集『JAPAN』は、文字通り日本をテーマとした作品集である。当然のことながら、天皇の問題もつきつめて考える。私が天皇誕生日を作品にする場合、かなり重要な意味を持つが、大森理恵の場合は単に季語として使われているに過ぎない。しかし、それでもこの作品が詩であることに変りはない。

素材として使用されている闘魚は、角川春樹そのものを暗示している。何ごとにおいても一途に打ち込む角川春樹のイメージをダブらせるが故に、「天皇の日」という季語が選択されたのだ。私が天皇をかりそめに考えていない故にだ。だからこそ、この句全体が角川春樹そのものであり、ある意味では私に対する「孤悲」文(こひふみ)と考えてさしつかえない。勿論、この句が私を離れても一句として成立する。人生は窮極のところ、闘いであると思い定めている全ての男達への、母性としての賛歌として、この句は「魂の一行詩」となっているのである。

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握り交はす手に西鶴忌ありにけり   斎藤一骨

『河』の当月集作家である斎藤一骨さんは、当年八十六歳。今月号のタイトルも「西鶴忌」。即ち、斎藤さんはこの句に自信もあり、私にこの句を突きつけてきた。親子の年ほど離れている老作家が、師である私にどうだと示した作品。結社誌である『河』は、仲好しクラブではない。真剣勝負の場なのだ。私の句集『猿田彦』の跋文(ばつぶん)を、平成四年八月十二日に亡くなった作家の中上健次が書いているので、その一節を引用する。

芭蕉は連衆と共になけなしの物、わずかな乾飯(ほしい)を持って吟行したが、今はあり余った物でもてなされそれは本来のもてなし主(あるじ)なる動詞ではない。座の文学というが今の俳句には何もないのではないか。吉野の花を見て「おい、中上、美しいな」と春樹にいわれ、私が「ウン、美しいな」と答えたら、彼は一瞬身構えた。座とは感性の斬り合いの場なのだ。美意識をすべて潰されるか、逃げ出すか、はみ出してゆくかが座の凄さである。芭蕉は弟子たちと斬ったはったでやって来たしそれがないと、現代俳句はもう死ぬ一歩手前なのだ。座のなかでみんな殺し合ってきたのだ。私もそうだった。角川春樹というすばらしい希有の才能の持主の新しい展開が、今後の俳句に大きくかかわってきたのだ。

中上が言うまでもなく現代俳句は、すでに死んでいる。俳句だけではない。短歌も詩もそうだ。私が「魂の一行詩」運動を展開するのは、死んだ俳壇を再生させるためではない。この世界は、もう終ったのだ。

この句は今月の当月集全作品の中で、一番私を惹(ひき)つけ、感嘆させた一行詩なのだ。大上段に斬りつけてくる斎藤一骨さんの太刀をしっかり受け止めなければ、私は主宰(しゅさい)者として失格である。だから、本人の意にかなうかどうかを別にして、私なりの鑑賞を試みよう。言わば、斎藤さんにとって、私が師としての資格があるかどうか試されているのだ。まず一般読者のために「西鶴忌」について説明しておこう。

西鶴忌とは陰暦の八月十日、元禄時代の大作家、井原西鶴の忌日。西鶴は大坂の町人で西山宗因の俳諧を学び談林派として活躍。後に浮世草子の作家として『好色一代男』『好色五人女』等、江戸元禄文学の最高峰をなした。例句として
西鶴忌うき世の月のひかりなる   久保田万太郎
今の世も男と女西鶴忌   三宅清三郎
色街に住んで堅気や西鶴忌   安村章三

いづれも西鶴の文芸や生活に則しながらの作品。私の作品では、自分の境涯(きょうがい)に則して、
中年に旅の花火や西鶴忌  『存在と時間』
斎藤一骨さんの句も、私の句と同様の境涯の詩であり、思想としての俳句なのだ。

人生の意味を私は「遊び」として捉えている。森澄雄さんはこう言っている。

俳句は十七文字に季語を入れた小文芸と思いがちだが、虚空とともに、永遠に流れて止まぬ時間、今の一瞬に永遠を言いとめる大きな遊びである。(略)老子も「学を捨つれば憂ひなし」と言い、荘子も遊心を重んじ、孔子も遊びを人生至上の境地とした。古代中国の大きな思想である。

西行も芭蕉も人生の達人であると同様に、井原西鶴も人生の達人だった。父・源義の最晩年、西行に強く惹かれたように、斎藤一骨さんは西鶴に強く惹かれているのだ。今の俳人は、実に容易に忌日の俳句を季語として使用しているが、これはとんでもないことだ。「握り交はす手に」西鶴忌があるという断定は、斎藤一骨さんが到達した末の結論だ。斎藤一骨さんの「遊び」が生みだした「放下(さっさと手放してしまうの意)」の一行詩なのである。

斎藤一骨さんの作品鑑賞を書いている内に、斎藤さんの胸にいつも西鶴が居坐っているように、私の胸の中にもいつも存在する風景があることに気づく。悲しいことではないが、鉄格子である。いま、突然句が生まれる。
夕凍(ゆうし)みのいつもこころに蝶番(ちょうつがい)

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母捨てれば遠く椿の実の落ちる   田井三重子

私の句集『JAPAN』には、夥(おびただ)しく母を詠んだ句があるが、田井三重子の作品を鑑賞する上で、一句ひくと
母の世の遠く遠くに桜散る

寺山修司は詩歌の中で、何度も母を殺し、何度も母を捨てている。それこそ家族の誰かれを殺そうが捨てようが詩の世界では許容される。日蓮宗では他宗の仏壇さえ捨てさせる。

三重子のこの作品が詩として成立するのは、「遠く椿の実の落ちる」の措辞(そじ)の力である。「椿の実」が落ちたのは、大地の上ではない。こころの底なのだ。否、底などない深い穴の中に「椿の実」は「錘(すい)鉛」となって落ち続けて行く。「遠く」は距離としての空間であると同時に「永遠」の時間を現している。また母は実在としての肉体だけでなく、母国、母郷、或いは家族全般の象徴となっている。つまり、この句の裏側には、常にしがらみである家族や街をかなぐり捨てたいという願望があり、しかし、実際にそのような行動に踏みきったならば、自分の心は錘鉛となって無限に堕(お)ち続けるであろうという、不吉な予感を抱いている一行詩なのだ。田井三重子という詩人は、いつもこころに修羅を飼っている。或いは鎮め続けることによって、見事な一行詩をこれからも生み出すであろう。一行詩は当然ながら象徴詩であることを、読者は銘記(めいき)しなければならない。ものに託する「俳句もの説」ではなく、象徴させる言葉の発見の方がより次元は高くなるのだ。

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霜の畦(あぜ)大きな鼠死んでをり   渡部志登美

この句を読んだ時、森澄雄さんの次の句が浮かんだ。
最澄(さいちょう)の山餅啖(くは)へたる犬に遇ふ

森澄雄さんは、この景に比叡山で出くわした。一種の驚きがこの句をもたらしたが、写実が力をもつという実例である。霜の畦道を歩いていると、大きな鼠の死骸に出会ったという実景が、この句を一行の詩として成立させた。空は晴れきっていると想像したい。冬晴れの畦道に、突然、不吉な鼠の大きな死骸。写実でありながら、写実を超えた光景。それを一瞬のうちに言い止めたことが、この句の最大の手柄。私は森澄雄さんの前述の句がとても印象的で、何度もこの句を色紙に書いてみて納得したが、志登美作品は澄雄作品以上にインパクトをもって、私に訴えてくる。詩(うた)とは訴えるという動詞が語原であることを、何度も書いているが、正に私の胸を直撃した作品。

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写楽絵や皮手袋が濡れてゐる   長谷川眞理子

同時作に、
雪月花われに大根引く力
がある。この句も『河』の中央支部で話題になった。「雪月花」という雅(みやび)な歌の根源テーマを背景に、「われに大根引く力」と句をもどいて見せたところに面白さがあり、私も秀逸に採った。句会でも随分点数も入ったが、「写楽絵」の方は、さっぱりだった。私はこの句に強く惹(ひ)かれたが、何とも説明のつかないもどかしさに並選としてしまったが、本来、特選とすべき作品なので、この場を借りて鑑賞することにする。実はこの句も、斎藤一骨さんの、
握り交はす手に西鶴忌ありにけり
と同様に、私に突き出してきた作品なのだ。長谷川眞理子は『河』の中でも、屈指の詩人である。

「写楽絵」の一句が秀れた一行詩であることを、まづ私は認めなければならない。ヴァン・ゴッホは日本の浮き世絵を油絵で背景に使ったが、この「写楽絵」も「や」で切っているものの、ゴッホの絵のように画中画となっている。前方にあるのは濡れた皮手袋である。濡れていることを強調するために露が光となって皮手袋の表面に描かれている。写真として撮(と)った作品ではなく、絵画として描かれた作品だ。写真では濡れている皮手袋を表現しきれないからだ。作者の眞理子が濡れた皮手袋を脱いで写楽絵を見ているのではない。それでは詩にならないからだ。盆栽俳句でもあるまいし、ただの状況報告「こと説」でもない。

彼女は「詩」として描いているのだ。スーパー・リアリズムを駆使したシュールな絵。画中画の世界。読者はスペインのカタルニア生れの画家サルバドル・ダリを想像していただきたい。濡れた皮手袋は人間の抜け殻のように写楽絵の前に放り出されている。そう、この作品は眞理子が私の前に放り出したのだ。「主宰、この詩を読み解けますか」彼女のニンマリした顔が今私の前に視える。正に眞理子ならではの一行詩だ。

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人間の居(お)らぬ絵を選(よ)る十三夜   北村峰子

同時作に、
雪月花われに大根引く力
という物騒な作品が並ぶ。勿論、私にも埋めておきたい人は、ひとりどころか一ダースは完全にいる。一行詩にとって「笑い」が重要であることも、この誌面で何度も触れている。しかし、作品としては、「十三夜」の方が、遥かに上である。

「十三夜」とは陰暦九月十三日の月。八月十五日の名月と同様、供え物をして祭る習慣がある。後(のち)の月とも言う。

峰子作品の根底にユーモアがあるが、この句は妙に魂に迫ってくる。長谷川眞理子のシュールな作品とも違う。奇妙なほどの静謐(せいひつ)さと騒騒(そうぞう)しさが同居している。そして一句全体が人間の視野いっぱいに飛び込んでくる。この半年間、峰子の作品が透明になって来ていたが、それとも違う世界が顕(た)ちあがってくる。実に不思議で魅力的な一行詩だ。

答えを解く鍵は「十三夜」にある。街中の画廊で女がひとり絵を選んでいる。頭上には見えないものの冬に間近い満月が煌々(こうこう)と照り輝やいている。女は人物画ではなく、心にしみる風景画を探している。何か透明感のある絵か、無機質な絵でもいい。むしろ冷たい宇宙の絵がいいかもしれないと考える。そうだ、月の絵なんていうのもいいな。映画の一シーンのようにも思えるが、この句も画中画の世界なのだ。私の句では、
満月やマクドナルドに入りゆく

盆栽俳人が作ることも、鑑賞することも決してしない一行詩の世界。この世界こそ、峰子作品のモチーフになっているように思われてならない。次の高田自然さんの作品が答えになっている。

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行く秋の夜のこころに触るるもの   高田自然

この実に見事な一行詩の世界が、北村峰子の「十三夜」の主人公のこころの在処(ありか)である。自然作品は、
いやおうもなく栗の木に栗の花
老いて良かつたんぢやないのと青葉木菟(あおばずく)
身の内に水音あふれ祭果つ
床柱を孤独と思ふ野分の夜
虫の野に死なばこの身も虫仏
(河八〜十二月号)

と全く一筋縄ではいかない老詩人だ。こうした作品を眺め、また他の作家たちの作品を鑑賞していると『河』という結社は、実にさまざまな個性が宿る詩歌の梁山泊(りょうざんぱく)だ。

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物に名のなきころの晴もみぢ山   滝口美智子

私はここ四か月、連続して美智子の『河』作品を採りあげている。

人間が初めて地球の大地を徘徊(はいかい)した頃、当り前のことだが言葉を持たない。人間が最初に発(はっ)した言葉は母音だけである。母音だけの言葉は地球的規模で共通しているのだ。母音に子音が結びついて、初めて言語は地域別に分離する。人間が初めて名詞を使用した数はきわめて少ない。「海」「山」「川」「野」そして「空」ぐらいであろう。古代の呪術的な詩によれば、そんなものだ。太初(たいしょ)の晴れを、美智子は「物に名のなきころ」という措辞(そじ)を使って表現した。この発見こそ、この句を一行詩として成立させたのだ。「晴」が青を、「もみぢ」が「赤」を読者に連想させるのは当然だが、真っ赤に紅葉した山と青空だけで、永遠の今を言い止める詩になっている。シンプルだが、それだけ印象深い作品となっている。古来、詩は無内容の良さを前提としていることを読者は考慮(こうりょ)して頂きたい。短い一行詩に盛り沢山の内容はいらないのだ。

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花カンナこの雨に抱く胸が欲し   西川輝美

同時作に、
冬薔薇(ふゆそうび)一行で足る愛の詩(うた)

こう言う詩を読むのも、鑑賞するのも実に楽しい。『河』が結社誌としてバラエティに富んでいるのは、輝美のような『河』新人賞をとった実力者が目白押しにいることだ。
冷奴寄り添ふことを怖れつつ

この句は正に初々しい恋の句。「冷奴」の季語がいじらしい句に仕立てている(河十月号)と書いたが、今回の句も「この雨に抱く胸が欲し」とは泣かせてくれる。私でよければと思わず言いたくなる。しかし、中七・下五の措辞はなかなか言えないものだ。恋の句としても秀逸である。

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買はれゆく聖書淋しき文化祭   川越さくらこ

先月号『河』作品一位になった作品だった、
月光やシグナル青となる深夜
の方が今月号の作品より面白い。しかし『河』作品全体の中ではやはりこの句が一番良かった。特に下五の季語「文化祭」が効き、上五、中七の「買はれゆく聖書淋しき」を実に良く締めている。やはりこの句は季語の恩寵(おんちょう)がもたらした一行詩。

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雪虫のまとはりつくもご縁かな   春木太郎

一読して笑い、二読して苦笑し、三読して楽しくなった作品。下五の「ご縁かな」で勝負がついた。「老後かな」「ご縁かな」の「かな」は普通、詠嘆(えいたん)を含んだ切れ字として使われるが、春木作品はそのような重みある切れ字として使われていない。もっと軽いものになっている。このような「かな」の使用は春木作品が初めてではないが、使用例は極めて稀で、ユーモアを強調する為に使った例はなく、春木作品独自のもの。

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松茸を焼いて非凡となる夕べ   こじまあつこ

不思議な句だ。松茸を焼くことが平凡でないことは確かだが、非凡とはかなり大袈裟な表現だ。普通なら駄句となるはずなのに、この表現が魅力的なのだから不思議。『河』十月号でこの作家の次の句を採りあげて批評している。
晴れと褻(け)のあはひの秋刀魚焦がしけり
そうか、この句の魅力は「晴」と「褻」の微妙なずれを整(ととの)った調(しら)べで詠いあげているからなのか。「非凡となる夕べ」と二段で切れながら上品な着地が川柳との決定的な違いの、一行詩として成立する要因となっているのだ。この句自体が「晴」と「褻」の中間にあって、最初から私の目に飛びこんで来たのだ。それにしても、なかなか非凡な技の持ち主だ。

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狐火や眼裏(まなうら)熱くして帰る   神戸恵子

同時作に、
缶珈琲(かんコーヒー)握り立冬の映画館
この作品も、中央支部で出句された作品。「狐火」は特選に、「缶珈琲」は秀逸に選んだ。「狐火」は父・源義の師である折口信夫の執心の深かった安倍童子(あべのどうじ)の物語が連想される。折口の弟子である歌人の岡野弘彦さんに次の短歌がある。
きつね妻 子をおきて去る物語 歳かはる夜に 聞けば身にしむ
安倍童子とは安倍晴明のこと。狐火の例句をあげると、
狐火や髑髏(どくろ)に雨のたまる夜に 蕪村
狐火を信じ男を信ぜざる 富安風生
星あをく恋の狐火走りけり 堀口星眠

神戸恵子の作品の意味は文字通りで、何の解説も必要としない。この句の眼目は「眼裏熱くして帰る」の中七・下五の帰結の良さにある。狐火を見て眼裏が熱くなったという言葉の発見が句の手柄であり、蕪村を除けば「狐火」の土俗性が全く失われている。神戸恵子の作品は、例句のどの作品よりも狐火の本意に添(そ)い、作品の仕上りも一つ上になっている。歳時記の改訂版の折には、私が収録すると言っておこう。それにしても缶珈琲の句が魅力的で、この句も句会で特選にすべきだった、と今にして思う。

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